ツイッターを中心に呼びかけが広がっていた、ゼンショーグループの牛丼チェーン「すき家」の現役アルバイト店員たちによる「ストライキ」の決行日がやってきた。2014年5月29日の「肉(29)」の日にあわせて一斉欠勤しようというもので、以前からネット上で関心を集めていた。
さっそくツイッター上には、短縮営業や閉店を告知する店舗の張り紙画像が寄せられているが、投稿を見る限りではストの影響かどうかは分からない。これについて、ゼンショーの広報担当者は「ストにより閉店している店舗は1店舗もありません」と話す。
ネットニュースが取り上げ一気に拡散
そもそもストが発案されたのは、約1週間前のことだ。2ちゃんねるの「すき家アルバイト」スレで話し合われ、29日の決行が決まった。その後、一部ネットニュースサイトが取り上げたことをきっかけに、ツイッターで「#すき家ストライキ」のハッシュタグが一気に拡散。「サービス業に一石を投じる」「全力で応援するわ」などと注目を集めた。
この段階では、賛同者たちは労働組合を通して手続きを行っていたわけではなく、便宜上「ストライキ」と称していただけだったようだ。当初の2ちゃんねるの書き込みをみてみると、発案者たちは29日の有給を皆で申請し、一斉に休むことで本部が待遇改善を進めなければならない状況を作り出す、と考えていたらしい。
だが話が広まると、実際に手続きに乗り出す労働組合も登場した。千葉県の地域労働組合「ちば合同労組」の公式サイトでは、ゼンショーに対し28日に団体交渉を申し入れ、ストライキを通告したと報告している。要求内容は、
(1)店舗の要員を増やし、ワンオペを廃止する
(2)5月29日のストライキ(すべての形態)参加者を処分しない
(3)店舗閉鎖や減産などに伴う従業員の不利益をすべて補填する
(4)アルバイト・パートの時給を一律1500円に
というものだった。
人手不足で閉めているのは2店舗だけ
そして、いよいよ迎えた29日当日。ツイッターには、
「大原交差点にある店舗。まだやってない」
「京都造形大学前のすき家は『人手不足のためお持ち帰りのみ』の対応」
「南浦和東口の『すき家』は営業してるが、ベテランがいないんでメニューは牛丼とカレーのみとのこと」
などというコメントとともに、店舗の張り紙画像や「ちば合同労組」組合員の画像が投稿された。「閉まっている」という報告も多数あがっているが、これについてはストによる臨時閉店なのか、リニューアル中の店舗なのかは不明だ。
実際、どれくらい影響が出ているのだろうか。ゼンショーに聞いてみると、広報担当者は「ストによって閉店している店舗は1店舗もありません」と回答した。現在閉めている店舗はリニューアル中の145店舗と、人手不足の影響で本部が昨日の段階で閉めるよう判断した2店舗のみ。29日当日の欠勤によって急きょ閉めることとなった店舗はないという。
ストライキの呼びかけについては同社でも前から把握していたというが、特に対策は講じていなかった。その理由について、担当者は「先週、店舗の運営状況を確認するためにシフトスケジュールをチェックしましたが、29日に有給を取得する人が集中しているということもなく、人数的に厳しいということもありませんでした。仮に大きな影響が出ていれば、対策をとったかもしれませんが…」と話した。
千葉合同労組の申し入れは工場勤務者
なお、千葉合同労組から申し入れがあったことは事実であり、現在回答を検討している段階とのこと。だが、こちらを通して申し入れを行ったのは、すき家店舗のアルバイト店員ではなく、ゼンショーの工場に勤務している1人。工場自体は通常どおり稼働中だという。
また、ゼンショーグループのパート・アルバイト専用労働組合「ゼンショーユニオン」からも27日までに団体交渉の申し入れがあったというが、こちらも人数は数名という。申し入れがあったのはこの2団体のみで、ゼンショー社員やパート・アルバイト、工場勤務者の9割が入っている労働組合「ゼアン」からも申し入れはなかったそうだ。
「すき家」のアルバイトを巡っては、店を一人で回す「ワンオペ(ワンオペレーション)」など厳しい労働環境が問題視され、3月ごろからは仕込みに手間のかかる鍋メニューが導入されたことも重なり、人手不足が深刻化。閉店や営業時間の短縮に追い込まれる店舗が相次いだ。それでも担当者は「短縮営業や一時閉店の店舗は4月時点で123店舗ありましたが、ここ最近は数店舗におさまっています」として、人員不足が改善されつつあることを強調した。
ちなみにゼンショーのトップである小川賢太郎社長は、東京大学に進学するも全共闘運動に関わり中退した「革命家出身」の経営者として知られる。「世界から飢えと貧困をなくすことという、10代のころから命題は変わっていない」として、2010年の日経ビジネスによるインタビュー記事では全共闘の活動や、港湾会社の現場で港湾労働者として過ごした若き日のエピソードを熱く語っていた。