例のSTAP細胞問題について、昨日(2014年4月9日)の小保方晴子氏の会見やこれまでの騒動を見て、さまざまな反論のなされ方が、本来の学問・科学の流儀から外れてきていると思った。
学問の流儀では、誰かが論文を発表して、それに反論があれば、その論文への批判論文を書いたり、公開討論の場で議論したりするのが本筋というものだ。論文の発表は、一定の権威付けになる「レフェリー付き雑誌」が主流だが、レフェリーのない雑誌や自らのサイトのインターネット上でも構わない(後者の場合、よほどでないと読む人がいないが)。
今回の騒動は場外戦ばかり
筆者は、かつて社会科学系の某学会で「D氏の論文の誤りについて」という論文を発表したことがある。もちろん論文は事前に相手側に伝えられ、学会の公開討論では相手を討論者として指名した。学会の公開討論の当日、相手のD氏が欠席したので、結論は自ずと明らかになった。なお、D氏は著名な学者であるが、論文の撤回はしていない。
こうした学問の流儀から見れば、今回の騒動は場外戦ばかりだ。リングの中で、論文を出し合って公開討論するのではなく、場外で、研究の当事者でないマスコミや理研を相手としてバトルになっている。
小保方氏の会見では、マスコミがいろいろな質問をしていたが、科学実験をしたこともないような人が質問しても意味はまずない。会見後、真偽ははっきりしないとしたり顔で報道する者もいたが、マスコミにわかるはずがない。マスコミは、科学発見について簡単に真偽がわかると思い込んでいるようだが、実際はかなりの時間をかけないとわからない。ノーベル賞のためには、長期間の検証が必要だ。だから、若いときに業績を出して、長生きして年を取ったらもらえるものなので、頭と健康な体が必要といわれる所以だ。
論文の公表や雑誌掲載は、ゴールでなくスタートにすぎない
理研が調査報告書を出し、論文撤回を勧告するというのも、流儀に反している。小保方氏らの研究グループと雑誌ネイチャーの関係なので、組織は不関与が原則だ。研究は自由闊達に行われないといい物が出ない。極論すれば、99の思い込みによる失敗があっても、1のホームランがあればいい。1つの杜撰な例だけで、管理がどうたらというのは、研究をしたこともなく論文を書いたこともないサラリーマン管理職の与太話だ。そもそも、論文の公表や雑誌掲載は、ゴールでなくスタートにすぎない。論文を晒して、歴史の検証を受けるということでもいい。
筆者が心配するのは、学問のリングではなく、研究にとって部外者のマスコミや所属組織が乗り出すと、研究が萎縮するかもしれないという点だ。
STAPについては、仮説だと思っている。今年2014年1月の発表で、存在のサポート材料が一つ出たに過ぎず、それがその後、揺らいでいるのだと思う。小保方氏は追試・再試でさらに論文を書けばいい。一方、小保方氏の思い込みの確率も結構あると思う。ただし、科学の流儀で時間をかけて結論を出すべきで、今の段階で、真偽を決め打ちするのはできないだろう。
小保方氏は200回以上できたと会見で主張したのだから、公開再現実験してもらえばいい。マスコミは、その様子を記録することぐらいできるだろう。
佐村河内事件で信用を失ったNHKスペシャル(ほかの民放でもいい)で、小保方氏の再現実験についてドキュメンタリーを作るというのはいい。無理解なマスコミへの記者会見より、小保方氏にとってもマスコミにとっても公開再現実験のほうが意味がある。
++ 高橋洋一プロフィール
高橋洋一(たかはし よういち) 元内閣参事官、現「政策工房」会長
1955年生まれ。80年に大蔵省に入省、2006年からは内閣参事官も務めた。07年、いわゆる「埋蔵金」を指摘し注目された。08年に退官。10年から嘉悦大学教授。著書に「さらば財務省!」、「日本は財政危機ではない!」、「恐慌は日本の大チャンス」(いずれも講談社)など。