新型万能細胞(STAP細胞)論文の筆頭著者、小保方晴子・研究ユニットリーダーが厳しい立場に追い込まれている。英科学誌「ネイチャー」に投稿した論文で画像の使い回しや別の論文の盗用の疑いがもたれているのに続き、今度は自身が大学院生だった時に書いた博士論文にも疑惑が浮上してきた。
引用や参照と明記しないまま、20ページに渡って別の資料からほぼ「丸写し」したとみられる記述が見つかったという。仮にコピーアンドペースト(コピペ)したなら、研究者としてはありえない行為だ。
専門家でも論文を「ななめ読み」するかもしれない
小保方氏が2011年2月付で早稲田大学に提出した博士論文と内容が酷似しているとされたのは、米国立衛生研究所(NIH)のウェブサイトに掲載されていた内容だ。幹細胞の基礎的な知識をまとめたもので、一部の見出しや語句を除けばほぼ同一とみられるという。全108ページ中、第1章の約20ページが「コピペ」を疑われている。サイトの更新時期が博士論文より前なので、NIHが盗用したとは考えにくい。
博士論文でこれほどのページ数を、他者が書いた文章で埋めることはあるのか。国立大教授に聞いたところ、「ありえない」と断言した。もちろん、さまざまな文献を引用、参照する場合は少なくないが、必ず「いつ誰が書いたか」出典を明らかにする。引用や参照は、あくまでも自説を補完するためのもので「それ自体が論文の柱になってはいけません」。
この教授は文系で、博士論文は200~300ページに及ぶそうだ。理工系の場合はずっとページ数が少ない。文系分野と異なり、過去の学説やその道の権威の成果を引用するよりも「イノベーション」自体に焦点を当てる傾向にある。それだけに、実験の再現性が重視される。STAP細胞の論文でも指摘された点だ。
論文の審査には通常、指導教官と数人の教員がチームで行う。朝日新聞の医療サイト「アピタル」2014年3月12日付記事によると、小保方氏の場合、STAP細胞論文の共著者のひとり、米ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授を含む4人が審査にあたった。全体ページの5分の1ほどが「コピペ」された論文なら、専門家である教授陣なら見抜けたのではないか。
都内の私大に勤務する教員に聞くと、研究テーマが複数の分野にまたがっている場合、審査する側も各分野の専門家をそろえる。このため「ある分野は詳しくても、その他は分からない」審査員が出てくるそうだ。「コピペ」された内容に精通している教授でも、自分で重要だと判断した個所以外は「ななめ読み」するタイプであれば、全ページの内容を把握するわけではない。当然、見逃す部分は出てくる。
学問分野のモラルや倫理教えられず、罪の意識が低い?
とは言え私大教員は、「さすがに指導教官なら、読めば(コピペだと)気づくはず」と首をひねる。「コピペ」が確定したわけではないが、事実なら審査した側にも落ち度があったかもしれない。
国内の大学では、類似の問題がしばしば起きている。最近でも名古屋外国語大学が2014年2月24日、現代国際学部国際ビジネス学科長の教授が過去に発表した論文に盗用の疑いがあることを明らかにした。執筆者からの抗議で発覚し、本人も認めた。明治大学では2012年、経営学部の男性教授が、他の研究者のブログを学術誌の論文に無断転用し、厳重注意を受けた。早大では2013年、博士論文で64か所の不適切な引用が見つかり、うち12か所は無断盗用だったとして学位を取り消した。
博士論文の執筆には相当なプレッシャーが伴い、提出期限が迫るなかで思った通りの結果が導けないと心理的に追い詰められ、苦しむのは事実だろう。「ちょっとだけなら拝借しても分からない」という悪魔のささやきが聞こえるかもしれない。だが一方で、「コピペ」を大量に行えば専門家から見ればすぐにばれるというのは理解しているはずだ。それでも盗用が絶えないのはなぜか。
前出の国立大教授は「罪の意識の低さが原因ではないか」と指摘する。米国では、学問分野でのモラルや倫理について高校生の時期から徹底教育される。文献の引用・参照のルールや、盗用が誤った行為であることを叩き込まれ、違反すれば厳しい罰があると教え込まれるという。一方、日本を含めアジアではこうした内容を学校で教えることはまずない。教授も、アジアからの留学生のリポートを読むと「コピペだらけ、というのもしばしば」と苦笑する。
小保方氏は、STAP細胞論文に加えて過去の博士論文についても、疑惑を晴らさねばならなくなった。