別人が作曲していた佐村河内守氏(50)について、その別人に当たるゴーストライターが会見して、「耳は聞こえていたと思う」と暴露した。佐村河内氏側は、耳は悪くなったと言っていたというが、身障者手帳を持っているとされるだけに今後説明が求められそうだ。
18年間ゴーストライターをしていたという桐朋学園大学非常勤講師の新垣隆氏(43)は、2014年2月6日に東京都内のホテルで記者会見して、「私は共犯者」だと謝罪コメントを読み上げて深々と頭を下げた。
「耳が聞こえないと感じたことは一度もない」
新垣氏は1996年、知人を通して佐村河内氏と知り合った。そこで、佐村河内氏は、映画「秋桜(コスモス)」用にシンセサイザーで作った曲をオーケストラ曲にしてほしいと数万円で依頼し、そこから関係が始まった。
この問題を特集した週刊文春の14年2月6日発売号によると、佐村河内氏は、1999年にゲーム音楽「鬼武者」を新垣氏に依頼するころから、補聴器をつけるようになり、続いて突然、全聾になったと言い出した。しかし、打ち合わせなどでは、最初は手話を使うふりなどをしていたが、次第に普通の会話になっていったという。
佐村河内氏の自伝「交響曲第1番」では、93年に左耳の聴力を失い、99年2月に全聾になったとされている。2002年1月には、身障者手帳の交付まで受けた。それなのに、佐村河内氏が普通に聞こえるというのだろうか。
新垣氏は会見で、このことを聞かれると、「耳に関しては、初めて彼に会ったときから今まで、耳が聞こえないと感じたことは一度もありません」と断言した。その例として、新垣氏が録音したものを聞いて、佐村河内氏がコメントするということが何度もあったと証言した。会見で、佐村河内氏が全聾を装っていた認識があるのかを確認されると、「はい」と明確に答えた。
補聴器があれば会話できるというが、真相不明
聴覚障害は、重い順から2~6級までがあり、等級によっては年金を受けられる。身障者手帳を提示すれば、公共施設などが割引料金で利用もできる。
佐村河内守氏が住んでいる横浜市では、もし手帳を交付していたとすれば、今後どんな対応を取るのか。これに対し、市障害者更生相談所では、「その方の個人情報になりますので、手帳を持っているかどうかはお答えできません」と取材に答えた。
一般論としては、手帳をもつ聴覚障害者でも、補聴器があれば会話できるケースはあるという。ただ、一番軽い6級でも、補聴器がなければ会話するのは困難ではないかと言っている。
佐村河内氏が新垣氏らとの会話で補聴器を使ったかは、定かではない。スポーツ紙によると、佐村河内氏は、精神的に不調を来しており、謝罪会見などが行える状態ではないという。本当に耳が聞こえたのかどうか、真相はまだ分からないままだ。