「船がほしい。漁に出たい」。大槌町の漁師の涙ながらの訴えが、横浜市民の心に響き、一隻の漁船建造へとつながった。船の名は「瀬谷丸」。募金の舞台となった横浜市瀬谷区から名付けられた。2013年6月半ばに大槌港で進水式があり、共同出航宣言で、こううたわれた。「希望の光を胸に灯し、ずっと共に生きていく。大槌と瀬谷は遠く離れていても、いつも心の同乗者。共に手を携えて未来へと出航します」
震災で甚大な被害を被った大槌町には、全国各地から、有形、無形、様々な支援の手が差し伸べられている。その中でも、横浜市瀬谷区から新おおつち漁業協同組合に贈られた定置網漁船は、漁民を感激させた。
建造までのいきさつはこうだった。震災があった2011年の秋。瀬谷区住民による恒例の「瀬谷フェスティバル」に大槌町の漁師が招かれた。瀬谷区の住民が震災直後、大槌町安渡地区で炊き出しの支援をしており、瀬谷区と大槌町とのつながりが出来ていた。漁協では津波で多くの船が失われた。「フェスティバル」で、漁師の佐藤正さん(56)が、地元で建設業を営む露木晴雄さん(33)に、漁に出ることができない辛さを訴えた。
露木さんが応じた。「募金し、瀬谷から船を贈っちゃおうよ」。漁船を造るのに約2億円。国などからの補助金を除くと、3千万円ほどが必要だった。住民有志により、「三陸沖に瀬谷丸を!」という実行員会が作られ、12年3月から募金活動が始まった。 瀬谷区には、被災地の支援をしたいと思っている住民が多数いた。瀬谷丸を大槌湾に浮かべよう。わかりやすい目標に、3か月間で3600万円が集まった。幼稚園児、保育園児までが、10円、100円と寄付した。
船は熊本県・天草の造船所で造られた。全長24.8メートル、19トンの定置網漁船で、定置網にかかった魚を引きあげるクレーンを2台持っている。6月15日に大槌港で行われた進水式には、瀬谷区の住民140人がバスを仕立てて駆けつけ、漁協関係者らとともに瀬谷丸の門出を祝った。
露木さんは「瀬谷丸が大槌湾内を走っている姿を見たくて苦労してきた。瀬谷丸の雄姿を見て、苦労は吹き飛んだ。瀬谷丸を復興の足掛かりにし、大槌の漁師の底力を見せてほしい。定置網漁で獲った魚を、瀬谷区に届けてほしい」と語った。一方、新おおつち漁協で漁の指揮をとる大謀(だいぼう)の小石道夫さん(61)はこう話した。「漁協の浮沈をかけ、秋サケ定置網漁に踏み出せる。漁協の経営を軌道に乗せ、瀬谷区の住民の方々に恩返ししたい」
大槌町漁協は震災を契機に破たんし、新おおつち漁協が2012年3月に発足した。漁協の漁船は、これまで、「第15」「第17」「第20」「第25」とすべての船に「久美愛丸」と名付けてきた。主力の「第20」「第25」は14トン。一回り大きく最新鋭の設備が整った瀬谷丸に、大鎚の漁業復興の夢が託される。(大槌町総合政策課・但木汎)