宗教学者で、国際日本文化研究センター元所長の山折哲雄氏が、月刊誌「新潮45」3月号に「皇太子殿下、ご退位なさいませ」という刺激的な題名の文章を寄せた。皇太子妃雅子さまの病気療養が10年目を迎え、「第2の人生」を選ばれてもいい時期なのではないか、と投げかけている。
思い切った提言に対して、「自分の意志でやめられるはずがない」「このまま雅子さまが皇太子妃としての役目を果たせないのなら、ご退位もやむを得ないのでは」と、議論が巻き起こっている。
結婚のために王位を捨てた英ウィンザー公を例示
「いま、皇室のあり方が揺れている」
山折氏の論文は、こんな1文から始まる。「心が痛む」のが、「憂愁の度を深める皇太子・皇太子妃の沈んだ表情」というのだ。
皇太子妃雅子さまが「適応障害」と発表され、治療に入ってから10年目。2013年6月にはご成婚20年目となるが、その約半分の時間を療養に当てていることになる。これを踏まえて山折氏は、皇太子ご一家のあり方に対して国民やメディアが「かならずしも暖かい眼差しをむけているわけではない」と指摘、「冷たい非寛容な視線へと転じていくかもしれない」と危惧する。そこで皇太子さまはご一家で「いわば第2の人生を選ばれてもいい時期」にきているのではないか」とし、これを「皇太子さまによる『退位宣言』」と表現。大胆な案を提示したのだ。
過去にも、「週刊朝日」2012年11月23日号で同様の発言をしていた。朝日新聞元編集委員の岩井克己氏との対談で、皇太子さまの「退位宣言」に言及。「結婚のために王位と祖国を捨ててフランスに移り住んだ英国のウィンザー公という例があります」と補足している。
皇室典範第3条は、「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる」と定められている。だが皇太子さまはこれに該当せず、ほかに皇太子さまが地位を退くための法的な根拠は見当たらない。「一方的にやめる」というわけにはいかないようだ。
それでも山折氏は、皇太子さまが秋篠宮さまに「譲位」され、ご自身は天皇家ゆかりの地である京都を「第2の人生の場」にされてはどうかと「進言」する。これで雅子さまの病状も回復に向かうだろうというのだ。同氏は「週刊現代」(3月9日号)の取材に「私があの論文(編注:「新潮45」に掲載された文章)を一番届けたいのは、皇太子さまです」と語っている。
雅子さまの回復「長い目で温かく見守っていただければ」
「山折論文」はインターネット上でも反響があった。ツイッターの反応を見ると、「これしか、皇太子ご一家を幸福にする手段はないのではないか」「議論されて良い問題」と理解を示す声が一定数見られた。
メディア上でも賛否が分かれた。「週刊文春」3月7日号には皇太子さまの30年来の旧友が登場し「天皇陛下でさえ定年がないのに、皇太子殿下が『やめた、降りた』って言えますか」と怒りの様子で語ったという。論文では皇太子ご一家が、日本の象徴としての天皇家という「公」の部分よりも、プライベートな家族としての「私」を重視されているようだとしているが、この旧友は「健全な生活があってこそのご公務」と反論している。
「女性セブン」3月14日号も大きく取り上げた。複数の識者からコメントが寄せられているが、高崎経済大学の八木秀次教授は「秋篠宮さまに皇位継承権を譲る」という点に賛成する。「皇太子さまは、ご自分の家族に精神的な重きを置かれているようで、本来、皇太子として果たされるべき役割ができていないように感じるから」という。長期療養が続く雅子さまが、このまま皇太子妃の役割を果たせなければ「皇太子さまのご退位もやむを得ないかもしれない」としながらも、「現実的には難しい」と答えたのは、元共同通信記者の橋本明氏だ。
皇太子さまは53歳の誕生日に先立つ2013年2月22日の会見で、雅子さまが療養10年目を迎えたことについての思いを聞かれ、「快方に向かっている」としながらも「さらに療養が必要です。雅子の回復を長い目で温かく見守っていただければ」と話された。一方、治療が長期化していることで、いわゆる「セカンドオピニオン」を聞くというお考えがないかとの質問には、「東宮職医師団が大変よくやっていただいていますし…今のところセカンドオピニオンという考え方は特にございません」と述べられたという。