「ある新聞社の知り合いから、『当時東電の広報担当者が新聞社やテレビ局を回り、菅が海水注入を止めさせた、という話をあちこちに言って歩いてましたよ』と聞いた」
菅直人前首相の言葉に、地下2階の会場には緊張した空気が漂った。2012年11月10日、東京・新宿歌舞伎町「ロフトプラスワン」で催された、菅氏の著書出版記念トークライブでの一幕だ。
サブカルチャー系の人士が多く出演するロフトプラスワンに前首相が「異例の登場」とあって、この日会場は若い世代を中心に150人超が詰めかけ大入り満員に。
安倍元首相「万死に値する」と批判したが…
脱原発に動いた直後の「菅下ろし」。菅氏を悩ませたのは……?(10日、ロフトプラスワンで撮影)
菅氏が述べたのは2011年5月21日、複数の全国紙が、福島原発事故翌日の3月12日に、菅氏が原発への海水注入を「聞いてない」と止めさせ、結果としてメルトダウンが起こった、と報じた問題だ。安倍晋三元首相も報道に先立つ形でメールマガジンなどで「万死に値する」などと菅氏を批判した。
しかし菅氏によれば菅氏自身はそのような指示は出しておらず、また実際には吉田昌郎所長が独断で注入を続行していたし、そもそも1号機のメルトダウンは事故当日の3月11日にすでに発生しており、この話は「3つの点で誤報」(菅氏)だった。
「(菅氏に情報を伝えた)某新聞社は検証のためにいくつか取材して回ったところ、『どうも違うらしい』となって一切載せなかった。こないだのiPS細胞の森口(尚史氏)みたいなもんだよねえ」(菅氏)
では、なぜこのような話が出て来たのか。菅氏は5月6日の浜岡原発停止が、マスコミなどからのバッシングを引き起こしたとの見方を示した。
「5月6日に私が浜岡を止めてくれと要請したころ、東電だけかは別として、菅が首相だとやばいと危機感を持って、そういった情報をあちこちに流し、実際にああいう記事になった」
「ちょっとなかなかよくできている」
さらに菅氏は、この報道と歩調を合わせるように、小沢一郎氏が「菅下ろし」に動き出したことを指摘する。
「(報道の)さらに10日後の6月2日、菅直人総理大臣不信任案が出た。その前に小沢さんは森さんのところに行って、不信任案を出したらこれだけ民主党に不信任案に賛成する人がいる、との血判状のリストを見せに行った。結果、森さんもそれに乗り、小沢さんは私の首を取ろうとした」
結果的にこの不信任案は、菅氏が「一定の目途」がついた時点での退陣を約束したことで否決される。菅氏は浜岡原発停止以来のバッシング、そして小沢氏の動きについて「どこまで連動しているか100%はわからない」としつつも、「ちょっとなかなかできているなあ」と、なんらかの関係があるとの見解をにおわせた。
一方で、事故直後の小沢氏については、軽い口調でこう挑発してみせた。
「原発事故の対応には、小沢さんがいないことが一番良かった。小沢さんがいたりしたら大変でしたよねえ。小沢さんの存在なんてまったく(頭を指差して)かけらもなかったですよ」
菅氏と小沢氏は不仲と言われているが、この日のトークショーでもそのあたりをにじませた形だ。
菅氏はその後9月に首相の座を降り、現在は「脱原発」を旗印に民主党最高顧問として政治活動を続ける。一方「菅下ろし」を仕掛けた小沢氏も2012年7月、民主党を離れ「国民の生活が第一」代表として、こちらも「脱原発」を主張している。