肺カルチノイドで亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さんの通夜が営まれた。生前に自ら斎場を手配して、遺影や祭壇に飾る花もわざわざ選んでいた。墓の準備も怠りなかった。
参列者に向けた会葬礼状には、ユーモアを交えた文章を用意。病魔と闘いながらも人生のエンディングに向け、完璧に近い「終活」を進めていた。
「人生における早期リタイヤ制度を利用させていただいた」
41歳の若さで2012年10月2日に死去した金子さん。3日の通夜の会場は、自らが選んでいた東京・港区の心光院だった。
祭壇に飾られた遺影は2012年4月に撮影されたもので、オレンジのフレームの眼鏡をかけた本人が優しくほほ笑む。飾られたバラの中にも、オレンジのものが見えた。この色はお気に入りだという。参列者にふるまわれた仕出しの料理も、にぎりずしからオードブル、煮物とこれまた金子さんが決めていた。
「にぎやかにしてほしい」との思いから、控室には50インチのモニターテレビが置かれ、これまで自身が出演したバラエティー番組がノンストップで流されていた。
参列者に配られた会葬礼状の文面もユニークだ。自らの死を「41歳で人生における早期リタイヤ制度を利用させていただいた」と表現し、仕事でかかわった人々に感謝とおわびの言葉をつづった。死後の「第二の現場」から「おトクなネタを探して、歩き回り、情報発信を継続したい」とあり、流通ジャーナリストとしてエネルギッシュに活動していた金子さんらしさが垣間見られる。
墓は、東京タワーの目と鼻の先にある場所に決めていた。その理由として礼状に、「東京タワーを見て自分の姿を思い出してもらえればうれしい」との思いを込めた。戒名まで既に手配済みで、家族や周囲の人に対する細やかな心遣いが、テレビの情報番組で絶賛されていた。
金子さんの用意周到ぶりについて、終活カウンセラー協会理事の武藤頼胡氏はJ-CASTニュースの取材に「会葬礼状をしっかり書かれていたのをはじめ、(通夜の)流れをきっちり把握していたのでしょう」と感心する。妻に迷惑をかけたくない、生きてきた証を残したいという思いが、病を押してでも自分の死後の準備を整える原動力になったのかもしれない。
自分を見つめ直して「この先の人生をどう歩むか」整理する
金子さんの場合、余命を宣告されてから約2か月で葬儀や墓を手配したと伝えられている。自身の死と冷静に向き合って、「終活」を見事にこなした。一方で、普段の暮らしの中でよほどきっかけがなければ、自らの人生の「締めくくり」を考える時間はなかなか持たないだろう。自分の死に際して希望を伝えるための「エンディングノート」を残しておくにしても、「現実味」がないと墓や葬儀、財産処分をどうするか考えがまとまらず、書き方に悩むかもしれない。
武藤氏は、「過去を振り返り、家族や周りの人とのかかわりを考えながら自分の立ち位置を確認する『人生の棚卸し』から始めてはどうか」と提案する。例えばエンディングノートには、葬儀費用を預貯金で支払うか保険で賄うか、といった細かな項目まである。最初に自分を見つめ直して「この先の人生をどう歩み、未来に何を残すか」を整理してからでないと、いきなりこういった質問に明快な答えを出すのは難しい。
エンディングノートに着手したら、内容は毎年見直してほしいと武藤氏。1年過ぎれば生活環境や考え方は変わるもので、要望事項もそれに応じて変化する可能性があるためだ。
「死」とじかに向き合うのは本能的にいやだろう。武藤氏は、終活カウンセラー協会が主催する勉強会で、「墓碑にどんな文字を刻みたいか」「もしも余命が明日までだとしたら何をするか」といった質問を投げかけたり、「入棺体験」をしてもらったりと、体感的に「終活」の重要性の理解を進めていると説明する。最近は、20~80代と幅広い年齢層の人が参加している。