「米米CLUB」などの活動で知られる歌手の石井竜也さん(52)が、テレビ番組で壮絶な過去を告白した。グループ解散後、多額の借金を背負ってしまい、自殺未遂までした。立ち直ったきっかけは一本の電話だった。
石井さんが出演したのは2012年6月24日放送のトーク番組「アシタスイッチ」(TBS系)。デザイナーのコシノジュンコさんと2人で互いの生い立ちを語り合うという構成だ。
映画監督など歌手業以外に挑戦して失敗
石井さんは福島県との境にある茨城県北茨城市の港町で生まれた。実家は100年続いている和菓子屋「石井屋」で、職人や出入り業者など、常時20~30人が家にいた。いつも「一人になりたい」と思い、屋根の上にのぼったり、蔵の中で古いものを見たりするのが好きだった。繊細で敏感な子どもだったようだ。
上京し、美術学校の学生だったときに結成したバンド「米米CLUB」で1985年にデビュー。JALのCMソングにもなった「浪漫飛行」(90年)や「君がいるだけで」(92年)などが大ヒットしたが、97年に解散した。
ここからが石井さんにとって厳しい時期だった。90年代後半、解散を前後して、ソロ歌手での活動のほか映画作品、「河童」(94年)、「ACRI」(96年)の監督など幅広い分野の活動にチャレンジしていたのだが、その結果10億円にもなる借金を背負ってしまったというのだ。
父親からの電話「お前はたぶん今人を恨んでるだろう」
人間不信に陥り、仕事のために家から出ようと思っても過呼吸になってしまう。家では窓を閉め切り、「もうおかしくなりそうだった」と振り返る。そして、「俺、いない方がいいかも知れない」と思い詰めてしまい、「自殺未遂を2回ぐらいやっていますね」「刃物見るとやばいんですよ、死ぬこと考えるんですよ」。
そんな石井さんを救ったのが、3年前に亡くなった父親だった。元々あまり喋るタイプではなかったが、ある日突然電話をしてきて、
「お前はたぶん今人を恨んでるだろう。お前は今夢を売って、夢を作ってきたんじゃないか。人を恨んだり憎んだりして良い作品ができるか? そういう作品はお父さんはみたくない。自分がやってきたことを信じなさい。(中略)金なんてものは結局心がないものだろ?
そんな心のないものにお前は命を預けちゃうのか。こんなくだらないものに命を預けるなんて、お前はそこまで馬鹿じゃないよな」
と、たんたんと語ったという。
この言葉で「死ねない」と思い、それからは必死の思いでコンサートをした。「いいじゃないか、借金があっても。多少あった方ががんばれるわちょっとベクトルを変えただけで、人っていうのはこんなに強くなれる」と話した。米米CLUBは2006年に再結成され、2012年春にも全国ツアーを行っている。
石井さんは2011年にもイベントで、「負債を抱えて自殺寸前までいった」と語っていた。今回の告白はツイッターを中心に話題になり、「石井竜也さんのお父さんの言葉、ものすっごく感動した」「映画不発の裏でそんな事があったとは…」といった声が出ていた。