ネットで、二宮金次郎の銅像論議が盛り上がってる。きっかけは、2012年1月25日に配信された、毎日jpの「二宮金次郎像:勤勉精神いまは昔、各地で撤去相次ぐ」という記事だ。そのなかの「歩いて本を読むのは危険」という意見がひとり歩きした。
金次郎像は「歩き読み」を助長しているのか。
二宮先生の精神は、ケータイ見ながら歩く若者に受け継がれている
もとの記事を要約すると――。
11年夏、大津市立小学校の金次郎像が経年疲労で倒壊した。「歩いて本を読むのは危険」「児童の教育方針にそぐわない」という意見もあり、大津市としては「補修に公費を充てるのは難しい」と判断・・・。かつて多くの市立小学校にあった像も、現在残るのは9校のみとなったという。
このニュースに、
「(金次郎像は)勤勉精神の話だ」
「そのうち『蛍雪の功』という故事成語も、蛍の光や雪明りで勉強なんて、目に良くない!とか言い出しそうだな」
など、「二宮尊徳像は読み歩きの推奨ではない」ということがなぜ分からないのか、という非難が相次いだ。
「二宮先生の精神は、ケータイチラ見しながら歩く若者に立派に受け継がれているからな」など、若者の「携帯電話のながら歩き」を揶揄する意見も上がったが、ほとんどの意見が「あきれてものもいえない」というものだ。
時代に合わせて新しいタイプ
実は「金次郎像」は様変わりしつつある。小田原市の金次郎の生家に隣接する「尊徳記念館」によると、
「戦前の像は立って読書というスタイルばかりでしたが、昭和も終わりごろになると、『薪を傍らに置いて、腰かけて本を読む金次郎』や、『草鞋を差し出す金次郎』など、さまざまな像ができました」
平成に入ると、「座る」「読書はしていない」など、新しいタイプの金次郎像が多く登場しているという。
像のタイプが増えた理由については、「ちょうど交通戦争があって問題になったからではないでしょうか」と説明。いまでも「本を読みながら歩く姿」はどうなのかという意見は聞くそうで、像のスタイルが変わっていくのも納得できるという。
どうやら金次郎は独自に自己変革を続けており、「金次郎=歩き読み」の常識は揺らぎつつあるようだ。
また「尊徳記念館」は、「像が減っているという認識もない」と話す。
「ことしに入って、銅像ではないですが、金次郎像をつくる小学校も3校あります。少なくとも小田原市内では、減っているとは思いません」
ニュースの話題となった大津市の教育委員会も、J-CASTの取材に対し「積極的な撤去はしていない」と、返答した。