医療訴訟は「冬の時代」 患者側の勝率はガタ落ち

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   「医療過誤原告の会」 (宮脇正和会長) の20周年シンポジウムが2011年12月 3日、東京で開かれた。この会は文字通り、本人や家族が医療事故に遭遇し、訴訟を起こしたか、訴訟を起こそうと決意している人たちの会だ。

   長野市の故・近藤郁男さんは79年、次男が虫垂炎手術を受け、植物状態になった。病院を訴えた時の名古屋市の加藤良夫弁護士に勧められ、近藤さんを中心に91年10月に会が発足した。シンポジウムでは著名な演者がこの20年を語った。

日本では事故の報告も不十分

   鈴木利広弁護士は日本の医療訴訟の歴史を概観した。明治36年 (1903年) に東大産婦人科助教授がガーゼを取り忘れで訴えられたのが最初で、これまでを5期に分類した。70年代後半から「医療理解期」、90年代の「患者の権利台頭期」を経て、08年の福島県立大野病院事件をきっかけに「冬の時代」だという。一時期の患者側の勝率4割から今は1割台に低迷している。

   大阪府八尾市の病院理事長で鑑定グループ医療事故調査会代表の森功医師によると、約1000例の鑑定で医療過誤率は7割。「ほとんどが初歩的なミス、医療はまだまだ運・不運の要素が強い」と指摘した。また、大阪で医師会を挙げて医療過誤対策を実現させるとの計画を披露した。

   99年の都立広尾病院事件で妻を亡くした永井裕之さんは、医療には「報告文化」「正直文化」「安全文化」が不可欠とし、日本は事故を報告する「報告文化」すら不十分だと嘆いた。

   同会の設立から20年、医療過誤への認識は高まったが、医療の実態は大きく変わっていないように見える。患者や遺族が求めているのは、賠償金ではなく、より安全な医療だとの気持ちがひしひしと感じられた。

(医療ジャーナリスト・田辺功)

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