東京電力が原発事故関連の報道に対し、同社サイトで「反論」を連発している。最近ではTBSの「東電が全面撤退を国に伝えた」との報道に対し、「そうした事実はありません」とかみついた。
東電サイトには、2011年3月の福島第1原発事故発生以降、9月14日現在で24件の反論が載っている。いずれも原発事故関連や、事故を受けた決算などをめぐる報道に対してのものだ。10年は2件、09年は5件なので、かなりのハイペースだ。
東電「そうした事実はありません」
東電サイトは9月13日、TBSが放送した「震災報道スペシャル」(9月11日)への反論を載せた。3点指摘しており、うち1点は「東電が現場からの全面撤退を考え、国に伝えた」との報道に関するものだ。
東電は、「そうした事実はありません」とし、国に伝えた内容とは「作業に直接関係のない一部の社員を一時的に退避させることについて、いずれ必要となるため検討したい」というものだった、と主張している。
また、当時首相だった菅直人氏が国会答弁で、東電社長に確認したところ「『別に撤退という意味ではない』と言われた」と答えたことも指摘している。
「東電の全面撤退」問題は、以前からくすぶり続けている案件だ。
当時の菅首相が事故直後の3月15日、東電本店へ乗り込み、発破をかけた。その模様はモニター画面で福島第1原発の現場にも伝わった。
単なるパフォーマンスで、現場の士気を下げたという評価が出た一方、東電が全面撤退を申し出たのが本当なら、「撤退なんてあり得ない!」と怒鳴った菅氏の行動は意味があったという声もあった。
東電の当時社長だった清水正孝氏は4月13日の会見で、全面撤退説を否定している。「直接作業に関わらない人間とか、そういう人たちは退避するという判断は当然あったが、全員が退避するという判断は持ち合わせていない」と述べた。以降、東電は同様の認識を示している。
枝野・前官房長官は「全面撤退のことだと共有」
一方、当時官房長官だった枝野幸男氏は、9月7日に行った読売新聞インタビューで、全面撤退説を主張。
枝野氏のところに清水社長(当時)から電話があり、直接話をした。「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」。東電は、なぜかこの読売記事には反論コメントを出していない。
菅氏も退陣前後のマスコミとのインタビューで、東電が撤退の意向を示していると伝えられた、と明かしている。
どちらが本当なのだろうか。
経産省の原子力安全・保安院の広報担当によると、全面撤退説が正しいのか間違いなのかは、保安院としては「確認できていないこと」だ。どうも政府側の全面撤退説は、「政治主導」の領域のようだ。
東電広報によると、3月15日、「直接事故収束にあたる」約70人のみを残し、あとは近くの福島第2原発などへ一時退避した。菅氏や枝野氏らが東電の清水氏と「撤退」をめぐる会話を交わしたのは3月15日の未明だ。結局、少なくとも一部の撤退は実行されたわけだ。
震災発生時には、福島第1原発に約6400人がいたことが分かっているが、「一部退避」の前日、3月14日時点で何人が残っていたかは不明という。17日までには、300人近くが現場へ戻り、計約350人に増えている。以降も順次増員された。
理屈の上では、(1)東電は当初、全面撤退を打診したが、菅氏から叱責を受け70人を残した、(2)当初から東電は70人程度を残し、あとの人員を一時撤退させる方針を打診したが、政府側から「それでは少なすぎ、事実上全面撤退だ」と受け止められた、といった可能性が考えられる。
そもそも、関係者らが詰めた議論をせず、雰囲気だけで「全面撤退」の言葉が独り歩きして混乱が広がった、ということもありそうだ。
残った「70人」で十分だったのか
「70人」とは、事故対応の一時的措置として十分な人数だったのか、それとも事故対応には不十分で、事実上、全面撤退と言われても仕方がない状況なのだろうか。
原子力行政にかかわったことがある経産省の関係者の間では、「70人は、通常運転を交代制で維持する最低限の人数で、事故対応という点ではちょっと少ないかな」といった見方があった。
一方、「被ばく防止の対策を整えるため、最低限の70人のみを残していったん退避し、ほどなく態勢を整えて相当数を現場へ戻すつもりだったのなら、極めて理にかなった対応だ」との分析もあった。
菅氏ら政府側と東電側のどちらかがウソをついている、というよりも、政府側と東電との意思疎通、情報交換が実にお粗末で、最初から議論はすれ違っていたという可能性もありそうだ。