かつて社民党の「2枚看板」だった2人がいがみ合っているようだ。社民党の福島瑞穂党首(55)は、同党を離党した辻元清美・衆院議員(51)が民主党入りする方向であることについて、「理念より権力に近寄る方を選択した」として批判した。
土井たか子・元社民党党首の「土井チルドレン」として、退潮傾向の政党を支え合ったかつての蜜月関係はどこへやら、2人の溝は修復不能なほど広がっている。
与党の味を知って宗旨替え?
民主党大阪府連は2011年9月10日の常任幹事会で辻元氏の入党の同意を得る予定。近く党本部が入党を正式に認める。福島党首は9月8日の会見で、辻元氏について「応援してくれた人たちを裏切ることになる」と、その変節ぶりを指摘した。
一方の辻元氏は2010年夏、社民党を離党している。離党直前、慰留する幹部に対し、党の厳しい現状などをふまえ「福島さんはわかってない」と話した。翌日の福島党首本人による慰留にも応じず、離党会見を開いた。
辻元氏は、福島党首による10年5月末の連立政権離脱の判断が納得いかなかったようだ。普天間移設問題で、当時の鳩山由紀夫首相と対立した結果、福島党首が「権力より理念」を選択した形だ。
当時、国土交通副大臣を務めていた辻元氏は、連立解消に伴う離任の際、「辞めるのはさみしいしつらい」と涙をぬぐいつつ語った。自身について、「批判の急先鋒だったが、それだけでは日本を変えることはできない」とも発言し、「与党の味を知って宗旨替えしたのか」と当時、揶揄されもした。
辻元氏は離党後、無所属のまま民主会派入りした。その後、衆院国土交通委員会の与党筆頭理事に就任し、東日本大震災後は野田政権誕生まで災害ボランティア担当の首相補佐官も務めた。すでにすっかり「与党の人」だが、あくまで無所属議員だった。それがさらに進んで民主党議員になることは、社民党関係者にとっては大きな違いのようだ。
それにしても、2人の「蜜月」はどこにいってしまったのか。
「『反権力』があなたの持ち味、主張だったのでは」
秘書給与問題で議員辞職した後、2003年に逮捕された辻元氏は05年8月中旬、社民党公認候補として出馬会見を開いた。「悲鳴みたいな声をきちんと国政に届けたい」と語りながら辻元氏が笑顔を横にみせた先には福島党首が座っていた。
秘書給与に絡む詐欺罪の有罪が確定した辻元氏の復帰には慎重論もあったが、福島党首が辻元氏に「一緒に選挙をやろう」と呼びかけたのだ。辻元氏の秘書給与問題が浮上した02年には、当時幹事長だった福島氏ら執行部は「一丸となってバックアップ」すると擁護する姿勢を鮮明にした。
03年に辻元氏が逮捕された後も、福島氏は「逮捕の必要性に疑問を持っている」とかばっていた。
辻元氏の民主入りをめぐる福島党首との対立について、関西の社民党関係者はどう受け止めているのか。
同党公認のあるベテラン男性市議(8期)は「(福島党首の)仰る通り」と話した。辻元氏に対し、「『反権力』があなたの持ち味、主張だったのではないんですか」といい、やはり納得いかない様子だ。社民党公認候補として当選しながら、任期途中で党を移ることは「背信行為だ」と考えている。「残念というか、腹立たしいというか……」と苛立ちをみせた。
民間国際交流団体「ピースボート」設立メンバー、辻元氏の衆院初当選は1996年で、弁護士の福島氏の参院初当選は98年。ともに「土井チルドレン」と呼ばれた。
秘書給与問題で辻元氏は2002年に議員辞職した。04年に無所属で参院選に立候補したが落選。05年に社民候補として衆院比例区で復活当選した。09年の衆院選では、社民候補として大阪10区で自民候補を下して4選を果たした。民主党は選挙協力で候補擁立を見送っていた。社民党の国会議員は現在、衆参合わせ10人だ。