東電の清水正孝社長が東日本大震災発生当日の2011年3月11日に夫人を同伴して奈良を訪れていたことを毎日新聞がスクープとして報道した。その後もスポーツ紙や週刊誌の報道が相次いだ。
しかし、東電は震災当日の社長の行動について「関西財界人との懇談で出張中だった」と従来からの主張を繰り返し、それ以上の質問には「相手があることなので控える」と述べるだけ。一連の原発事故への対応もさることながら、社長の公式出張の中身さえ明かせない東電の体質が問われている。
社長と「懇談」した関西財界人はいない?
公式行事などで夫人を同伴する「出張」は、東電の社長ともなれば、あったとしても少しもおかしくない。にもかかわらず、夫人の同伴が必要と誰もが納得するような「公式行事」の痕跡はない。清水社長と「懇談」したという関西財界人の名も一人として明らかになっていない。
清水社長は震災前後の3月10日から11日にかけ、夫人同伴で奈良市内に足跡を残している。マスコミ関係者らによると、清水社長と夫人、秘書の3人は10日午後、2泊の予定で奈良市の名門ホテルにチェックイン。翌日に東大寺の修二会(お水取り)を見物することが目的だったという。11日午後には奈良市内の平城宮跡を訪れたとされている。
この最中に大震災が発生し、急きょタクシーで帰路についたという。電気事業連合会は2010年閉幕した平安遷都1300年祭に協賛した経緯があり、清水社長が電事連会長として、これを夫人同伴で「事後視察」したのであるなら、そう発表すればよいのに、東電がそれを認めないのは、なぜだろう。
社長が夫人と秘書を同伴しての「出張」とは、どんな位置づけなのだろう。これが3人とも休暇をとり、私費で奈良を訪れていたのなら、何の問題もない。むしろ、楽しい私費旅行の最中に、史上最悪の原発事故に遭遇した清水社長のタイミングの悪さに同情だってできなくもない。しかし、この旅行が「公務」の位置づけで、夫人の旅費まで東電が負担していたとなると話は別だ。言うまでもなく、夫人の奈良観光の旅費は、消費者が払った電気料金で賄われることになるからだ。
奈良からタクシーでなぜ神戸空港を目指したのか
震災発生後の清水社長の行動は、様々な汚点を残した。清水社長は奈良からタクシーで神戸空港を目指したと伝えられているが、このルートも不可解だ。なぜ最寄りの関西国際空港や伊丹空港から帰京せず、最も遠い神戸空港に向かったのか。
結果的に清水社長は愛知県の航空自衛隊小牧基地から輸送機で東京の東電本店に戻ろうとしたが、離陸直後に「被災地救援を優先すべきだ」との防衛省の指示で輸送機が途中で引き返したため、その日は帰京できなかったのは周知の事実。翌12日午前に民間のヘリコプターで東京に戻り、初期対応の悪さの一例として国会などでも問題にされた。
電力会社は原発事故など有事に備えてヘリコプターを保有している。それなら、清水社長は関西電力のヘリで帰京することだって可能ではなかったか。もしも、そうしていたのなら、福島第1原発のベントや海水投入など、社長判断でもっとスムーズに危機管理ができていたのではないか。しかし、関電にヘリを要請した事実はない。そもそも、関電は当時、東電社長の関西入り自体、知らされていなかったという。
清水社長の奈良行きに限らず、東電の「隠ぺい体質」は目立つ。事故調査委員会などでの徹底した真相解明が必要だろう。