エジプトでの反政府デモの激化に伴い、ウィキリークスは2011年1月下旬、60本の米カイロ大使館発の機密公電を自身のウェブサイトで公表した。2004年10月から2010年2月までの期間に同大使館からワシントンの国務省に送信されたものだが、そのうち「シークレット」(秘密)と分類された公電は11本。ムバラク政権に対し高い評価をする一方で民主化路線への抵抗に手を焼く米政府のジレンマが読み取れる。
1月24日に公表した秘密公電(2009年5月19日付)によれば、マーガレット・スコービー駐エジプト大使は09年5月の段階でエジプト経済の停滞と政治改革の遅れに警鐘を鳴らしていた。
エジプト社会での貧富の格差拡大を指摘
エジプトの国民1人当たりのGDPは30年前に韓国と同じだったが、現在ではインドネシア並みである。2008年には1977年以来初めてのパン騒動が発生した。政治改革は失速し、エジプト政府は個人やグループ、とりわけ影響力が拡大しているムスリム同胞団に対し手荒な対応を取っている。
同大使はエジプト社会での貧富の格差拡大を指摘していた。
「経済改革ははずみを失い、近年GDP成長率は高水準だったが、下層階級は貧困から脱出できなかった。世界的な景気後退と高インフレの結果、最貧困層が拡大し、失業が増え、財政赤字が膨らみ、2009年のGDP予想成長率が前年比半分の3.5%に低下した」
だが、プライドが高いムバラク大統領は「経済援助の話には乗ってこない」と大使は公電で念を押した。
ロバート・ミュラーFBI長官のエジプト訪問の参考資料としてスコービー大使が用意したブリーフィングメモ(2010年2月9日付)では、エジプトの民主化に対する米政府のフラストレーションが読み取れる。エジプトでは1981年のサダト大統領暗殺後にテロ防止や麻薬取り締まりを目的にした緊急法が制定されたが、「エジプト政府はムスリム同胞団、作家、活動家などの政治活動を対象に緊急法を使っている」と大使は指摘する。
「イスラム諸国での民主化は混乱と社会の不安定生む」
米国は政治の自由、多様化主義、人権の拡大などを含むエジプトの民主化を支援してきたとして、スコービー大使はミュラー長官に「緊急法の継続施行に対する危惧」をエジプト政府高官に伝えて欲しいと要望している。
一方、エジプト政府は米サイドの民主化支持という立場にきわめて懐疑的であり、その理由としてイスラム諸国での民主化の失敗をあげている。イラン、イラクそしてパレスティナで見られるように、混乱と社会の不安定が民主化の結果だというのだ。
「ムバラクからすれば、社会全体の混乱というリスクを取るよりも少数の個人を犠牲にすることが遥かにベターということになる」(2009年5月19日メモ)
また、米政府が反政府勢力にも積極的に接触していた事実が明らかになった。2008年12月30日付の秘密公電によれば、活動家のひとりがニューヨークで開催された青年運動同盟(AYM)サミットに出席し、ワシントンでも下院議員、議員秘書、研究者などに会い意見を交換したという。大使館が旅費などの経費を負担したかどうかは不明。
この活動家は「エジプト政府は大改革を実行できないので、エジプト国民は現体制を議会民主制に変えねばならぬ」と主張したが、スコービー大使は「2011年の大統領選挙までに議会民主制に転換するという非現実的な目標に向けて具体的なロードマップが描けていない」とコメントしていた。つい最近までこの判断を疑う人はほとんど皆無であっただろう。
(在米ジャーナリスト石川幸憲)
石川幸憲プロフィル
上智大学卒業後、渡米。南イノリイ大学博士課程修了(哲学)、ペンシルベニア大学博士課程(政治学)前期修了。AP通信記者、「TIME」特派員、日経国際ニュースセンター・ニューヨーク支所長などを歴任。著書に『ウィキリークス』(共著、アスキー・メディアワークス新書11年2月刊)『キンドルの衝撃』(毎日新聞社10年1月刊)がある。