損害保険金の不払い問題で揺れる大手損保の経営陣の進退でのあがきがひどくなってきた。自動車保険や医療保険での不払いが相次いで発覚した日本興亜損害保険では2007年1月12日、松沢建社長が07年4月1日付で自身が代表権のない会長に退き、兵頭誠副社長が新社長に昇格する人事を発表した際、松沢社長はかたくなに引責辞任を否定した。
不払い問題では損害保険ジャパンと三井住友海上火災保険で経営陣が最終的に引責辞任しており、これらと異なる日本興亜の姿勢が際だつ。背景には同社の後任人事を巡るお家の事情と、他の大手損保の経営陣が軒並み引責辞任に追い込まれる「ドミノ倒し」を恐れる業界の思惑が見え隠れする。
否定否定は「後任の兵頭副社長を守るため」?
「社長就任丸6年となり、大きな区切り」
社長交代の会見で松沢社長はかすれるような小声で説明し、引責辞任との見方を繰り返し否定した。「豪放らい落な性格で、業界でも一目置かれる存在」(他の大手生保)と評された姿は見る影もない。記者団に詰め寄られて、会長に就いた後に金融庁の処分などがあれば身を引く考えを述べるのが精一杯。日本興亜への行政処分はまだ出ていないことから、社内からは「不払いで処分を受けたわけでもないのに、ここまで結びつけられて批判されるとは思わなかった」と、ぼやきが漏れる。
松沢社長は一連の不払い問題で、保険会社の本分を果たせなかったことを強く悔い、「自ら経営責任に言及した数少ない経営トップ」だった。その松沢社長が引責辞任否定にこだわるのは、「後任の兵頭副社長を守るため」とささやかれる。同社内では他の後継者が見当たらないとされているのだ。
だが、兵頭副社長は一昨年から代表権を持っており、過去5年間の不払い問題の経営責任がないとは言えない。松沢社長が会見で不払い問題について「最大の責任は私にある」と強調したのは、金融庁の処分が出た時点で会長職を退くことで一件落着としたいとの思惑が見える。